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外山茂樹/地球を救う“かけ声”たちを総点検

§2「リサイクル」というお題目

(2.1)「ゴミ」とはなにか

一般廃棄物と産業廃棄物

今の社会では便利な“物”が科学技術を駆使して次々と造りだされている。そして自由経済社会では市場原理によって欲しいだけ物を造って、使った末には捨てられることになる。もの造りのような産業活動や流通の市場から排出される物を「産業廃棄物」とよび、これはそれぞれの事業者において、規制値を守って適正に処理されている。今日それは経営戦略のなかで、重要な項目になっている。

一方、産業活動で生産された物の多くは、生活の場である家庭に持ち込まれ、いずれ捨てられることになる。包み紙のようにすぐに捨てられる物もあれば、建物のように何十年も使われるものもあるが、いずれは捨てられる。このうち家庭から捨てられる物を「一般廃棄物」とよび、市町村などの自治体が集めて始末することになっている。「産業廃棄物」のことを「産廃」、「一般廃棄物」のことを「一廃」とよんでいる。しかし「一廃」はなじまないので、ここでは日常的な言葉として、単に「ゴミ」とよぶことにする。


(単位:百万トン)

日本全体の資源消費量と廃棄量(2007年)環境白書より)

さて、このような廃棄物は一体どのくらいの量になるであろうか。最近の日本におけるおおよその数値を図に示す。そして排出量は、産業廃棄物が4.5億トン、一般廃棄物が0.5億トンとなっている。京都議定書で問題になっている2酸化炭素は4億トン弱である。入った量より出た量が多いのは、水や酸素などの取り込みのためとしている。いずれにしても、消費資源の約半分の10億トンが蓄積されていることになる。

蓄積されるのは、ほとんどが建築構造物と考えられる。この蓄積が減少するのはどんな時代か想像するのも面白いが、それはさておき、身近な生活に係わり、リサイクルとかリユースとかいわれている対象は、産業廃棄物の9分の1である。日本は
20億トンの資源を消費して、500兆円のGDPを生み出している。圧倒的に支配的なのは500兆円の経済活動である。どこから手をつければよいか。

それは物と心の問題である。心は文化・宗教に根差し、心と物を結ぶのは情報である。これは章を追うごとに取り上げていくが、ここでは当面、市町村などの自治体が集めた「ゴミ」を「リサイクル」するといっているお題目をもう少し詳しく描き起こしてみよう。

「ゴミ」の収集と分別におけるさまざまな思惑

「ゴミ」はそれぞれの家庭から排出され、市町村がこれを集めて処分することになっている。集め方には地域住民の事情によっていろいろあるが、多くは「可燃ゴミ」と「不燃ゴミ」と「粗大ゴミ」の3つぐらいに分けている。「可燃ゴミ」は燃やして、灰を最終処分として埋立地などに運び込む。「不燃ゴミ」と「粗大ゴミ」は中間処理場で一部は粉砕したり圧縮したりして資源を回収する。大部分の残りは最終処分場に捨てている。

ゴミの量が増えるにつれて市町村の負担も大きくなるし、処分場の確保については、どこも行き先が心細くなっている。しかしよく見れば、ゴミの中にもまだ使えるものが混ざっていてもったいないではないか。そこで、リサイクルしてこれをもう一度使えるようにしようということから、「分ければ資源」という「かけ声」で分別収集を呼びかけている。回収する資源には金属、紙、プラスチックなどいろいろあるが、なにを分別して、どのように資源化するかについては、各自治体の事情によってこれまたさまざまである。

ゴミ収集処分の流れ

善良な市民は自治体の呼びかけにおおむねすなおに協力しているが、自治体側では「住民はリサイクルするから、たくさん出してもかまわない」という声を気にしているようである。2000年には容器包装リサイクル法が施行されてからは、対象物の半分以上が再資源化ルートで回収されている。このようにリサイクル法をもっと徹底して、その回収費用を生産した業者に負担してもらうようにすれば、業者もゴミになるような製品をださないような工夫をするであろう。そういったお互にいいいとこ取りの思わくが入り乱れている。

「資源ゴミ」は、いろいろな呼び方をされているが、新聞紙や牛乳パックのようなものは子供会など地域団体によって、直接それぞれの回収業者に引き取られるものである。そのほか、市町村が設営する集積場に市民が搬入し、そこでボランティアなどによって選別が行われ、回収業者に引き渡す方法も増えている。このようにして「かけ声」高く集められたゴミが、どのようにリサイクルされるか、そしてそれがどのような意味があるか、次の節で考えてみよう。

(2.2)リサイクルのループ

5つの“R” と 5つのステップ

ケニアの環境保護大臣ワンガリ・マータイ女史が来日しとき、日本語の「もったいない」という言葉に感銘を受け、これを世界に広めたいという活動が提案された。

「もったいない」のように自然や物に対する敬意などの意思(リスペクト)が込められているような言葉、また消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、再生利用(リサイクル)、修理(リペア)の概念を一語で表せる言葉が見つからないので、そのまま『MOTTAINAI』を世界共通の言葉として広めようというのだ。これを実現するための物の流れを下図に示す。

1番最初のステップが原点利用である。資源保護、環境保全という立場からすると、資源を消費するものは使わないことが最も好ましい。しかし人間が生きてゆくためには使わないわけにはいかない。そこでこのステップは「もったいない」心を揺さぶり起こして敬意などの意思(リスペクト)と、消費削減(リデュース)、それから修理(リペア)していつまでも使う、この3つのRがこめられている。

さて原点利用から離れて「ゴミ」になると、「リサイクル」のお題目を掲げて3つのRを通り抜け、最終処分というところで「ゴミ」のまた「ゴミ」ということになる。

リサイクルの形態と機能

図で2番目のステップに当たる「再利用」というのは、再使用(リユース)のRがあてられる。ビール瓶のようにそのままの形でリサイクルすることである。「再資源化」は、古紙やスクラップ鉄のように物質は変わらないが、ばらしたり溶かしたりしてもう一度造りなおすものである。水の再利用もこの中に含まれる。金属のように鉱石から精錬するようなものはそうでもないが、一般的には最初の製品の材料よりは品質が低下する。「資源転換」は物質が変わってしまうもので、プラスチックを燃料油に転換するとか、厨芥をコンポスト肥料にするといった化学反応を伴うものである。焼却してエネルギーにしてしまうのもこの中に含まれる。再生利用(リサイクル)のRは、細分化されたこの2つのステップが狭い意味でのリサイクルといわれる。「最終処分」は、無害にして土壌や海域へ復元利用するということで、これで打ち止めという「ゴミ」のまた「ゴミ」ある。

次のこの5つのステップが環境問題にどれだけ役にたつものであろうか、考えていこう。

排出者の原点利用

5つのステップの1番始めの「原点利用」は、リサイクルにスタートする前の状態であるが、見落としてはいけない順番どおり1番大事なところである。「もったいない」の原点でもある物にたいする敬意、愛などの意思(リスペクト)こめて使う原点利用のステップは、環境に求められる心の原点でもある。

電気のつけっぱなしや水道のたれながしなど無駄が無いようにし、捨てるものがなるべく少なくする「心掛け」が資源、環境問題では最も効果的である。源流を抑えることが肝要で、鍋料理で使った汁をおかゆにして食べるといった伝統的な生活の知恵はできるだけ継承したいものである。

無駄をなくすことの次は、長く使うことである。
物を手にしてから手放すまでの時間は実に千差万別である。包装紙などは、真っ先に捨てられる運命にある。一方、住宅などは何十年も使う。日本人は古来物を大切にする民族だといわれているが、使い捨て稲作文化、禊(ミソギ)という作法があるために、包装紙の消費が他国に比べ抜群に多い。住宅にしても、日本文化の象徴である伊勢の皇大神宮は、
20年に一度建て替えている。石造りの家に何百年も住む西洋の人は、20年か30年住んで壊してしまう日本人をみて、どうしてもっとしっかりしてものを建てないのだといぶかっている。それには2つの理由があるとされている。1つは地震や台風などの災害が多いこと、もう1つは西洋文明を取り入れたたために、急速に生活様式が変わりつつあるためとされている。ただ、建設に要するエネルギーは洋風に比べて和風は10分の1といわれている。言い訳はともかく、物を長く使うという心掛けは大切にしたいものである。

「原点利用」で長く使うことを妨げる困ったことがある。これは固有の文化とは関係なく、先進国共通の問題である。先進国ではいまや科学技術文明に押し流され、次々と便利なものが出回っている。その進み方が速いので、未だ使えるものも捨てられ、性能のよいものへと買い替えられる。そして便利なものを大量に提供しようとする市場原理は、丈夫で長持ちして修繕がし易いものを提供することと矛盾するのである。修繕(リペア)したくても、資材や情報がなかなか手に入らない。いまやそういう社会の仕組みになれきってしまい、直そうとも思わない。

自動車運転免許皆伝書

しかし、こんな文明は長続きするするとは思えない。科学技術文明が行き着くところまで行き着き、提供される物に心をしみ込ませ、文化にまで高められる時を待つしかない。お茶を飲む作法をしっかりと継承するようなことは、その時期を早めることになろう。車にしても、運転の技量だけでなく、作法と文化的教養を求めることにするのである。あらためて後で考えることにしよう。

再 利 用

さて、捨てられた物をもう一度使えるとすれば、こられは1番手間がかからない。これを再利用、カタカナでリユースといっている。ビール瓶を回収して、洗浄するだけで瓶そのものは、そのまま使う。原形のまま循環利用するもので、この段階では循環されるもの自体の価値は殆ど失われない。運搬、洗浄、配送などリサイクルに要する費用がこれと釣り合うかということである。

収支関係にテコ入れしようというのがいわゆるデポジット制度である。つまり販売価格にリサイクルする容器の値段の一部を上乗せしておいて、容器を戻すときにお金が戻ってくるという仕組みである。

生活廃棄物については、主として市民運動の形で不用品の交換や青空市の催しものなど、再利用ないしは原点利用が行われているが、資源循環法としては最も効果的であり、大変有意義な活動といえよう。

不用品を買い取って、一寸繕って新品同様にして店に並べて商いをする店を古道具屋といい、現在ではリサイクルショップといわれているが、景気によって流通量が大きく変動している。

テレビなど家電製品を修理してもう一度使うのも、このステップに当てはまる。入れ代りの激しい学生の間で、口コミで取引が行われていて実態はつかめないが、モデルチェンジが激しく下火になっていると聞いている。

また、中古自動車や自転車を修理したり、古タイヤに溝だけ彫り直したものを輸出しているルートも再資源の1つの形態である。市場メカニズムとして存立するとはいえ、このような廃棄物を排出する民族は、別に何らかの形で償いをするという心を持ち、模索し、実行する必要があろう。

伊勢の皇大神宮では遷宮のときに解体されてご神木は、宗教的な祈りを込めて余さずリユースされている。

伊勢の皇大神宮

この場合、リユースはお金の問題ではない。使い古した先祖の思いを込めてリユースする。またヨーロッパでは古い町並みがよく保存されており、古い道具や家具をいつくしみ、ガラクタ市が繁盛している。こうした文化は伝え広めていきたいことである。

再資源化

「資源化」というステップは、捨てられた廃棄物を、利用できるものは一部解体し、選別して鉄や紙のように物質はそのままで資源として再利用するものである。鉄や紙では元の原料から生成するよりも、廃棄物から再資源化するほうが少ないといわれてれている。鉄は鉄鉱石から生成するよりもスクラップからの方が、エネルギーは半分ですむし、大気汚染や水質汚濁は85%から75%少なくなるとしている。また紙についても、木材から作るのに比べ、そのエネルギーは半分程度になるが、水の使用量も格段に少なくならない。また何回も再生すれば、繊維はだんだん短くなって品質が悪くなる。

家庭から出るゴミに限れば、鉄や紙などのほか、ガラスやプラスチックなどが「再資源化」の対象になっている。地域や時期によっては業者が回収することもあるが、多くは市町村のエコ-ドームのようなところへ市民が持ち込んでいる。そこから先は企業の再生工場へ運ばれるが、再資源化するものの種類が多ければ多いほど、細かくなってその運搬に要する労力とエネルギーが増えてくる。また運び込まれた物も、もう一度選別しなければならないことが多い。それからもう一つの問題は、再生工場とはいうのの、再生を専門にしているわけではない。鉄は製鉄所、紙は製紙工場ということで、その場所はくず鉄やくず紙を持ち込むのに便利なようには決められたものではない。

集めて選り分けて、元の物質に再資源化する工程でも、エネルギーを消費し、環境汚染物質が排出される。それから金属はともかく、ガラスやプラスチックなどは、著しく品質が低下して限られたところしか使えないものが多い。

そのようなことから、リサイクルのステップも「再資源化」あたりが限界で、ここから先のステップは、かけ声倒れで環境面でも経済的にも、下手をすると、しないほうが益しという論評もある。

「ゴミ」の分別収集のところで、容器包装リサイクル法が施行されてから、集めた「資源ゴミ」は図のようルートで半分以上が再資源化ルートで回収さてるようになったと説明されている。実際にはどうなっているか、リサイクルループの説明の後で、工程設計という観点から総括してみよう

容器リサイクル協会に関わる物流

資源変換

資源変換というのは、廃棄物を焼却してその熱エネルギーを利用したり、家庭ゴミに含まれる台所の厨芥を発酵させてコンポスト化し、肥料として利用したり、プラスチックなど雑多な固形高分子有機化合物も熱分解して、気体や液体の燃料のような資源に変換することである。

物質を変換して市場に商品として送り出す方法は、原油からガソリンやプラスチックを作る石油化学工業、石灰石などからセメント、粘土からセラミックなどを作る無機化学工業などがあげられる。その生産活動がいわゆる動脈系であるとすると、環境問題や資源保護の観点から、廃棄物を原料にして市場に商品を送りだす生産活動を静脈系とよぶことができる。しかし、その技術や経済的仕組みは、市場原理の中にあって動脈系と変わるところはない。

資源変換する化学工場

ゴミの中のプラスチックを選り分けて、反応器の中に入れて熱すると燃料油やガスが得られる。この方法はゴミ処理のナショナルプロジェクト「スターダスト計画」を初め、1970年代からいろいろなところで研究された。結果はいずれも極めて厳しい評価となっている。例えばプラスチックを分解して燃料油にした場合、生成コストは260円かかる。A重油の65円に比べると、文字通り桁違いである。また、鉄を造る溶鉱炉の燃料として廃プラスチックを使うと、250円かかるのにたいし、微粉炭を使うとたったの30円で済む、といったような報告がなされている。

このように資源変換の方法は沢山あるので、どれを選ぶかというのは、極めて専門的はものである。専門家がしっかりとした職業倫理のもとで精密に計算し、全体を俯瞰しながら正確な判断、データを提供する必要がある。「ゴミゼロ」とか「ゼロエミッション」というような、「部分的正当性」で惑わすのは正当ではない。

最終処分

利用されなくなったものは、原点で補修利用から再利用、再資源化、資源転換、と逐次グレードを下げて資源を循環利用する手段がある。ここまでを廃棄物処理というが、最後に行き着く先は処分となる。すなわち最終処分である。

具体的には埋め立て、海洋投棄という手段がとられる。広くいえば地球への還元である。ここで何より肝要なのは有害物質の管理である。最終処分する物質すべてを、完全に無害な形で地球へ還元するという発想には無理がある。必ず有害なものは残るわけであり、これを人間の生活圏に影響をもたらさないように管理するという体制が不可欠なのである。

昔の農耕社会では、人間は農作物を食べ、残り物や食べられない部分を再利用、再資源化して家畜に与え、生育して食肉とし、排せつ物は肥料として土に返していた。このような物の流れをクローズドシステムとよんでいる。最終処分は不要で、人間の生活圏でこのサイクルを完結させていた。

最終処分というプロセスは工業化社会の産物なのである。工業化社会とは、人が科学技術を応用して欲しい物を造るようになったから始まったことである。身の回りにいろいろなものが入り込んだために、その処分にも、物を造ったときと同じように人手をかけなければならなくなった。つまり自然の浄化だけでは間に合わなくなった。社会も高等動物のように、静脈系をしっかりと備え付けないと生きていけないところまで進化したのである。ちなみに、人間の血液は、その4分の3が静脈系に使われているというのである。

(2.3)もの造りを立ち上げる3つの関門

捨てれば「ゴミ」分ければ「資源」って本当?

リサイクルを含めた「ゴミ」の処理には5つのステップがあり、その資源化といっても、そんなに簡単なものではないというお話をした。ここでは物造りの工程を設計するオーソドックスな手順を、先ず一般向けに分かりやすく説明する。それを頭においたうえで、つまり角度をかえて、リサイクルは本当にそれがどのくらい意味があるのか、もう一度見直してみよう。

「資源ゴミ」を再び資源として利用できるようにするためには、鉄やプラスチックスのように、他の原料や水やエネルギーを加えなければならない。これを物造りでは工程設計とよんでいる。この工程設計の基本として次の3つの項目があげられている。

1)物質収支  (2)エネルギー収支  (3)経済収支

この分野を体系付けている「化学工学」では、これをキルクブライドの考え方といって真っ先に教えている。

標題では3つの関門としているのは、これらのチェックを受けないと、廃棄物を再び利用されるものとしてリサイクルできない。赤字で売れないものを造ってもしかたがないからである。

ところで、再利用の工程に回される「資源ゴミ」をトータルにみると、入口は自治体がこれに当たり、出口はこれを再資源化することになっている企業となっている。この2つは基本的に体質が異っているために、考え方に不連続性があることを見逃せない。

化学工程図の1例(ゴミ燃料発電)

工程の入口側を担当する自治体では、そのままあずかる「処分ゴミ」を少なくするために、「分ければ資源」というかけ声で、分別を奨励している。つまり「分別ゴミ」を再資源化業者に渡してしまえば、資源化されたことにしている。ところが、これを受け取った業者は工程設計の3つの関門で厳しくチェックして、再資源化するものもあれば、採算上発展途上国に輸出されるものもある。当然、ハシにも棒にもかからず廃棄処分するしかない残り物もある。「再資源化」にしても、「資源転換」にしても、再利用するには難しい問題がたくさんある。この辺の情報は、全般的な生産活動の中に埋もれてしまって、あまり取り上げられていないのが現状である。しかしこれでは環境対策もかけ声倒れに終わってしまう。折角だからここで、工程設計の基本から描き起こしてみよう。

中学2年で教わる「質量保存則」

金属の素材や化学製品などを造る工程を設計するには、前項で述べたように、先ず物質収支を求める。もっと具体的にいうと、工程に加える原料や水や空気の量と、排出する製品や廃水や排ガスの収支を質量保存則にしたがって求めることである。すなわち、入った量と出た量は質量が等しいという収支計算である。

この教科は中学2年の理科で学習することになっている。昔々ある錬金術の職人が、食べた量と排出した量を何日間もクソ真面目に測ったが、一致しなかったのは何故だろうというような、ユーモアまじりに教わったことを思い出す人もいるであろう。

工程設計の実際では、全体的な質量だけでなく、肝心の製品を構成する元素やその分子構造などが細かくに調べられている。環境問題への配慮が厳しく求められるようになるにつれて、排出される固形残滓や、廃水、廃ガスも詳しくチェックされるようになっている。

「ゴミゼロ」という言葉をよく耳にする。これは原料が全部製品になってしまうことで、工程設計をしたことのある人にはあまり経験しないことである。出た量と入った量が等しいという質量保存則をもってすれば、なにか物をとり込めば、その分どこかから出さなければ、どんどん膨らんで、パンクしてしまうはずである。パンクしないということは、どこか気が付かないところへ垂れ流しているとか、見て見ぬふりをして、臭いものには蓋をしてしまっているのである。仕入れた原料は全部製品にしてしまい、無駄は1つも出さないという意気込みであろうが、それによって却って環境への負担を大きくしていないだろうか。「ゴミゼロ」をキーワードにしてインターネットのホームページを検索すると、これを標語にしたサイトが山のように出てくる。地球環境というのは地球全体を見渡して考えなければならないのに、自分の周りだけをいいとこ取りして「ゴミゼロ」といっていたのでは、トランプのババア抜きをしているようなものである。自然法則を無視したいかにも悟りのない合言葉である。

ジョーカーを持った弘法大師

詭弁は隠蔽の温床である。競争社会に目をくらまされていてはいけない。「もったいない」のところでも触れたように、生きてゆく以上は出るものは出るのであって、それは「方便」として認め、その代わりどうしても使う物には慎み深い気持ちを込めるほうが、もっと質の高い生き方といえよう。

ジョーカーは懐に入れていつくしむのが、真に地球に優しい心がけなのである。

七変化のエネルギーにも保存則

物造り3つの関門の2つ目のエネルギーについても、エネルギー保存則というのがある。すなわち、入ったエネルギーは出たエネルギーに等しい、ということでこれを熱力学の第1法則とよんでいる。熱力学の第2法則はエントロピーに関することで、「もったいない」のところで説明した。第2法則の方が先になってしまったが、第1法則は、物質収支と同じように、入った量は出た量に等しいということで、すっきりと分かりやすい。しかし問題はエネルギーには運動エネルギーもあれば熱エネルギーもある。それに電気、光、化学、核と七変化である。いろいろな形態があってお互いに変幻自在である。これらの関係を図に示した。おまけに単位もいろいろあるので、見るのも面倒だということになりそうである。実は説明するのも一々面倒で、詳しい解説を始めると本論から外れそうである。ここではエネルギーは変幻自在であることから、対象とする工程にエネルギーを入れた量と出た量が等しいというエネルギー収支は、前提となる条件を詳しく裏返して見ないと、正確に工程の正当性をチェックすることはできない。分かりきったことが実はよく分かっていなかったということになる温床だから気をつけよう。

例えば、人間が食べ物から1日に摂取するエネルギーのおおよその量である2000キロカロリーを1eu(エコロジカルユニット)とした単位について説明した。そして、100wの電球を24時間灯したときに消費される電力がこれに相当することを紹介した。ところがその電力が火力発電所から送電されてきたものであるとすると、発電所では電気エネルギーのおよそ2.5倍の火力、つまり燃料を燃やしているのである。100wの電灯を1日使った人間からみると、消耗したエネルギーは2.5eu ということになる。

政治資金も1円まで公開することが取沙汰されているが、熱と物質の収支関係も、しっかり監視する必要がある。

経済収支―市場原理はやはり “ソロバン” が “カギ

「現金な話」という形容詞があるくらいだから、経済収支の金勘定は欠かすことはでない。ソロバン勘定で数値的にハッキリと示すことができる。「もったいない」も数値にしてみたが、金銭とのバランスを考えるには、外貨の為替レートのようなものが必要である。
それはさておき、物造りの工程における出費は次のように分類される。

 @原料費  A光熱水費  B設備償却費  C保守管理費   D人件費  E諸雑費

このうち設備償却費と人件費は設備を大きくすると割安になる。大量生産、大量消費という社会の仕組みが出来上がっていった大きな要素である。

リサイクルということで、身近なゴミについて考えよう。正確な定義はまた後で述べるが、ここでは市役所などが家庭から集めるあのゴミである。多くの自治体では、リサイクルできそうなものを含んでいる「資源ゴミ」あるいは「分別ゴミ」と称するゴミと、その他の「処分ゴミ」とに分けている。処分ゴミは自治体の方で焼却したり埋め立てたりして始末をつけている。その費用はすべて自治体の負担つまり税金で賄われている。その内訳は、もの造りの工程と同じように、上に掲げた6つの項目からソロバン勘定される。
ただし、@の原料費はゴミを回収する費用が当てはめられる。

再生処理コストの内訳

集める費用であるから、設備が大型化すると、遠くからも集めねばならなくなり、かえて費用がかかるようになる。そうすると@に当たる費用は、自治体の資源ゴミ回収費と資源再生業者が引き取る価格の合計である。その額は処分ゴミに比べれば割安である。これが「資源ゴミ」を奨励する台所事情である。分別すれば資源になるというふれ込みは、「もったいない」というような「かけ声」にも応援されて、声高に叫ばれている。

しかし、資源再生業者に引き取られた「資源ゴミ」はどうなっているであろうか。リサイクル製品として市場によみがえるためには、もの造りの工程と同様、新たに資源を加え、エネルギーを加え、そしてソロバンにかけられるのである。「資源ゴミ」は、自治体と業者という体質の違うところで扱われるが、地球環境ということになると、この2つをひとまとめにして評価しなければならない。そうするとリサイクルというお題目は大変厳しい評価になるのである。

キルクブライド先生の総点検

代々樹壱咲Y私は代々樹壱咲と申します。かっての通商産業省の研究所で、エネルギーや資源開発関係のナショナル・プロジェクトに参画してから、大学の工学部で「資源環境学」という講座を担当したものです。リサイクルを評価はどのようにするか、一般の人にも分かっていただけるように、ここではオーソドックスな化学工程設計の基本とされている、「キルクブライドの考え方」を紹介しました。まとめとして、キルクブライド先生に総点検していただけませんか。

K:そうですね、リサイクル製品を造るときには、そこでどんな手間や費用をかけているか、しっかり数字でとらえておかないと、リサイクルそのものの意味が分かったつもりで分からなくなってしまいます。Y先生もここで化学工程設計の専門知識を説明してこられたようですが、さて皆さんこれでお分かりだったでしょうかね。

Y:リサイクルの話と工程設計の話が混線してしまったようです。

K:そうですね、話が前後して分かり難かったようですから図を用意しました。

リサイクル工程総点検図

ご覧下さい。中央に化学プラントのような絵が描いてあります。これにリサイクル原料をいれて処理するとリサイクル製品が出てきますね。このとき入れるのは原料だけでなく、人手もかかる、エネルギーも水や添加剤も要る。それだけではなくプラントを造るのに設備投資している。リサイクル原料をプラントがあるところまで持ち込むためには、そこまでの収集や輸送に手間がかかっている。それから出てくる物も、欲しい製品だけではありません。廃ガス、廃水、固形廃棄物の3点セットもしっかりと出ますからね。これらをすべて算盤にのせてみないといけません。アニメのオバQに出てくる魔法の扉のように、ペットボトルを入れるとぱっとシャツになって出てくるというようなわけにはいきません。

Y:おっしゃる通りです。ペットボトルのお話がでましたが、聞くところによると、収集輸送にそこでは1キログラム当たり400円がかってるそうです。それは容器リサイクル法でカバーされるのですが、日本の業者は1キログラム当たり35円でしか買い取れないところを、よその国が50円で買い取っているという話です。

K:ややこしいことになっているのですね。

(2.4)エントロピーの物差しで測れば

5つのリサイクルループのエントロピー線図

廃棄されたものが、もう一度使えるように生まれ変わる経路、すなわちリサイクルのループもいろいろあることを説明した。これを、「もったいない」のところで紹介した、エントロピーを使ってループを描いてみよう。そうすると、リサイクルの効果を、物差しのように測ることができる。

もともとエントロピーというのは、熱力学からきた言葉で、「乱雑さ無秩序の程度」を数値で示したものである。「もったいない」では、その心は「生存に必要なエネルギー」を「欲望」で割った値とした。ここでは、資源リサイクルの対象となる「物の量」を、その物が持っている「価値」で割った値をエントロピーとしよう。そうすると、捨てられた「物」は分母の価値がゼロだから無限大となる。このエントロピー無限大の捨てられた「物」をもう一度使えるようにするのは、「もの造り」の工程と同じである。この章の最初に紹介したように、3つの「関門」でチェックされることになる。その3つとは、物質収支、エネルギー収支、ソロバン勘定である。

付加価値―エントロピー線図

そこで、エントロピーを横軸にとり、縦軸に「価値」をとる。もの造りの最終的な関門であるソロバンではじきだされた数値は、処理・加工費であるから、そのままではマイナスの「価値」をもっている。これが市場に出されて「欲望」を充足する「価値」が認められて初めて付加価値が生まれる。このとき付加価値は処理・加工費を上回らないと物造りは成り立たない。物が造られて使われ、そして捨てられるまでの過程は、図のようなループに描くことができる。すなわち、エントロピー無限大の資源が採掘さ無価値でエントロピーは無限大へと戻る。ただし、無価値になるには、収集・輸送という手間をかけなければならないから、捨てられた時はマイナスの価値をもっていることになる。そこからもう一度「再利用」にまわされると、また同じようなループを画くが、一般に品質は劣るので、「乱雑さ無秩序の程度」のエントロピーはやや大きくなり、「付加価値」も低下するので、図のように右にずれた小さなループとなる。以下、「再資源化」、「資源転換」、「処分」と右側にずれて小さなループとなっていく。ただ、前節で説明したように、「再資源化」、「資源転換」によって生まれる「付加価値」は桁違いに小さいものが多い。リサイクルにおいて、収集や処分に住民の協力や税金を注ぎ込む必要を生じているのはこのためである。

カスケード利用―少しずつ順番に

このようにリサイクルの5つのステップをエントロピー‐付加価値ループで表すと、その効果が一目でわかる。たとえばここに一枚の紙があったとしよう。原点利用で裏まで有効に使われ、これが包み紙として再利用され、いったん捨てられて古紙となるが、再生紙となってよみがえる。しかし、同じルートを繰り返したとしても、繊維がだんだん短くなって焼却炉に送られる。ここでエネルギーに変換されて灰を残す。灰は埋め立てられて土地に造成される。このような使われ方を「カスケード」と呼んでいる。元の意味は多段の滝のようなイメージを表現する言葉であるが、このループでも同様なイメージを示している。この紙のように、ここまで利用されれば原料資源の材木も本望であろうが、それぞれの用途における量的バランスからいって、理想的なルートをたどることはありえない。おおかたは1つか2つの工程の処理を受け、バイパスしてしまっているのが現状であろう。

熱のような目に見えないものでも、このカスケードというのはエネルギーを有効に使う手段として奨励されている。熱の場合は温度の高い方から低い方へ段階的に、つまりカスケードに使う。例えば、金属を精錬する工場では、金属を溶かすところは非常に温度が高いから、そこから出てくる排ガスや製品の温度も高い。この熱を使えば温度の高い蒸気を発生させ、タービンを回して電気を起こすことができる。タービンからでてきた蒸気はまだまだ温度が高いので、これでお湯を沸かしたり、部屋を暖めることができる。このように熱を温度の高いところから段々滝のようにカスケードしてエネルギーをあまさず利用する施設をコジェネレーションシステムとよんでいる。

資源やエネルギーをあまさず使うカスケードは、リサイクルの理想的姿として、その普及が「かけ声」高く呼びかれられている。ゴミの焼却でも、その熱で蒸気を発生させてタービンを廻して発電する。使った蒸気でお湯を沸かし、さらに温度が下がったところで暖房に使うといったカスケード利用法がある。紙の一生とよく対応できる。これをうまく利用したのが、現在あちこちで検討されているコジェネレーションシステムである。しかし熱を発生する所と使う所がまとまっていなければならない。

また挿絵は昔ながらの生活の知恵で、泉の水がカスケードに使われている情景を描いている。一番上流から飲み水を汲み、その次の水槽で食べ物を洗い、最後に食器を洗ったり手を洗ったりしている。

天然の水を使う生活の知恵

決め手はやはり「無駄なく丈夫で長持ち」が一番

資源やエネルギーを段々滝のようにカスケード利用するのが、理想的なリサイクルあることを、エントロピー線図に描いて説明した。その線図では縦軸に「付加価値」を、横軸にエントロピー、すなわち資源リサイクルの対象となる「物の量」を、その物が持っている「価値」で割った値とした。この線図が理想的なカスケードの段々滝となっているのは、市場原理がそのようにさせている。つまり、「再利用」から「再資源化」、「資源変換」とリサイクルを繰り返すほど、付加価値はさがってゆく。

ところが、縦軸にリサイクルにかかった費用をとると、必ずしもそうはいかなくなる。実際にかかった費用というのは、「もの造りの3つの関門」で説明した最後のソロバン勘定である。これが、エントロピー線図で順番どおり下り階段にならないことがある。「資源再生」や「資源変換」の説明のところで述べたように、凸凹階段の例はいくらでもみられる。リサイクルの「かけ声」を高めるために、下手に助成金をつけたりすると、こうした凸凹階段がまかり通ってしまうのである。このようなことになると、折角の助成金もかえって全体的にみて環境をよくしたことにならないのである。

エントロピー線図の縦軸に、リサイクル工程で消費したエネルギーをとれば、ここで説明したコジェネレーションシステムでは、綺麗な段々滝のカスケードを描く。だが気をつけないと、往々にして凸凹階段になってしまう。そうなると、環境に対してはしないほうが益しということになってしまう。「リサイクル」の「かけ声」に便乗して、無意味な天下り先のようなものできないように、エントロピー線図や「もの造り3つの関門」で、しっかりと監視しなければならない。

このようなリサイクルの難しさを考えると、先に示したリサイクルの最初のステップ「原点利用」を徹底的にすることが、環境にたいして一番やさしく大切であることがわかる。すなわち「無駄なく丈夫で長持ち」が一番ということになる。「もったいない」運動のマータイ女史が掲げた5つのR、すなわち敬意愛を込めるリスペクト、消費削減のレデュース、再使用のリユース、再生利用のリサイクルのうち、3つまでが原点利用のステップに込められている。このうち、「リペアー」すなわち修繕については、工業化社会にたいし、リペアーのしやすい製品を市場に送り出すよう、大声で「かけ声」をかけたい。修繕しやすい製品を造ることは、大量生産大量消費の経済と矛盾する。消費者の「かけ声」の役割は大きい。

クラウジス先生の試験では落第の「ゼロエミッション」

最後はクラジウス先生にご登場願おう。

クラジウス先生C:この章は科学技術の専門的な解説が多くて読み辛いかったかも知れませんが、皆さんいかがでしたか。

皆さん(R):正直いってなにが言いたいのかよくわからないようなことを、長々と要領の悪い説明で、読む気がしませんでした。

Cたしかに要領を得ない内容ですね。しかし私の提唱したエントロピーについて、「もったいない」の章から2つの章にわたって紹介していることは喜ばしく思います。そこで少し私から補足しましょう。

イギリスのフランシス・ベーコン先生は、「知は力なり」という「かけ声」というか「合言葉」で科学技術を奨励し、便利なものを次々に送り出してきました。しかし私は環境を良くするための資源リサイクルにしても、本当に効果があるのか数字で示さずに先に進むことはできません。それでもう一度、私が提案したエントロピーを使って、リサイクルの5段階を検討してみましょう。

すでにここでも紹介されたように、エントロピーはもともと熱力学の専門用語で、熱量を温度差で割った値です。これを前の節では資源リサイクルの対象となる「物の量」をその物が持っている「価値」で割った値をエントロピーとしていましたが、ここでは、熱量を市場価値とし、温度差を購買欲としてこれで割った値をエントロピーとしましょう。

市場価格―エントロピー線図

R:なんだか益々こんがらがってきました。「もったいない」のところでは確か熱量は「生存に必要なエネルギー」とし、温度差を「欲望」としてそれで割った値をエントロピーとしましたね。

C:そうです。ただ「もったいない」のところでは欲を抑制した「悟り」を数値化しようとしましたが、ここでは娑婆の「欲」そのものとなりますから、経済学の方の需要と供給曲線のようになります。市場価値を縦軸にとり、いま定義したエントロピーを横軸にとれば、右下がりの曲線となります。その曲線に沿って出発点の製品、再利用品、再資源化物、資源転換品、最終処分滓となり、それぞれの関係は図のように示されます。それぞれがどの点にくるかは物によって大きく違います。いずれにしても、それぞれの段階で化学工程設計のキルクブライド先生の考え方にしたがって確りと計算しなければなりません。

R:再利用を中古品と考えれば、自動車、家具、衣類いずれにしても新品の半値以下ですね。

C:再資源化となると市場価値は桁違いとなります。100万円の自動車から鉄を回収しても、1万円以下にしかなりません。再資源化といって家具や廃材を燃料にすると、石炭以下の価値しかありませんから、1キログラム3円にもならないでしょう。リサイクルの場合は、集めて回収するところは市町村が税金でしていますから、資源化と処分はその分だけ図において縦軸の市場価値をゼロより下から出発させています。

このように考えると、「ゴミゼロ」とか「ゼロエミッション」というのはあり得ません。自然の法則に反するようなことを標語にしてはいけません。私の試験では落第です。

R: しかし先生、私共が言っているのは生産工程の産業廃棄物のことです。そこでは実際に掃除機のゴミまでリサイクルしている工場もあります。ある工場から出た不要物を処分する業者に渡すときでも、そこから廃棄物を出さないというマニフェストを取り交わしています。

C: そんな無理して却って余計な消費になりませんか。どんな処理をするにしてもエネルギーを使うでしょう。ゼロエミッションなどと自然の法則に反することを標語にしてはいけません。「もったいない」のところでも、生存のためのエネルギーは認めることにしているではありませんか。

R:先生から東洋の思想を教わるとは、恐れ入りました。申し遅れましたが、私はこの名刺のような者です。

C:それはどうも。名刺には再生紙で出来ているとわざわざ書いてありますね。このわずか百分の1平方メートルにも満たない紙が、リサイクルにどれだけ貢献しているというのですか。初対面の人に渡すわけですから、正月の締め飾りのようなものですよね。締め飾りを使い古したゴザで作りますか。私は情緒的で数量的なことは全く駄目ですと、言いふらしているようなものではありませんか。年賀状にしても、古紙の割合を発注者が勝手に決めた仕組みを私には理解できません。全部の人が古紙100%の紙を使ったとしましょう。そうすると新しい原料となる材木などは要らなくなる筋書きかも知れませんが、これではリサイクルを繰り返すうちにだんだんボロボロになって、紙の原料として使えなくなります。

R:どうしても新しい原料の木材は必要ですね。システム全体をよく分析して、どれが1番環境にやさしいのか公開討論するといいですね。郵便局はイメージアップのため一方的に古紙混合割合を決めて紙を造る会社に注文する。紙を造る会社にしてもわが社のコピー用紙は古紙100%というのを、売れ行きをよくするための宣伝につかっている。これでみんな地球にやさしいことをした気になっていることが、かえってデータの隠蔽、改ざんの温床になっているようで、なんだか変ですね。

C:ただ古紙を使えば環境にやさしいというような「かけ声」ですまされるほど単純なものもではありません。前の節で説明したような、化学工程設計法によって確り評価しなければね。

R:日本人はやはり「かけ声」や「合言葉」に弱いのでしょうか。20世紀では、大東亜共栄圏というような「かけ声」で、侵略に走り、戦争に負けてしまいましたが。

C:ドイツもベルサイユ条約の重い賠償を蹴散らす、威勢のいい「ナチス」の「かけ声」に乗せられて、暴走した歴史があります。しかしこれからの地球環境問題は、地球上のあらゆる文化を相互に認め合い、一緒に行動しなければなりません。

R:挫折しなかった戦勝国の市場原理優先が、このまま「かけ声」高く押し進めたならば、地球はやがて人類に対して破局を告げることになりますね。

C:実は私は1857年に地球の温暖化を予言していましたし、後輩のアーレニウス君(1859-1927)も、1896年に2酸化炭素が3倍になると、地球の気温が8℃上昇するという予測を発表していますよ。

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